広島高等裁判所松江支部 昭和35年(ネ)80号 判決 1963年7月31日
控訴人 島根県商工事業協同組合
被控訴人 国
訴訟代理人 森川憲明 外七名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事 実 <省略>
理由
控訴人が松江市内に居住する各種中小企業者を組合員とし、組合員相互の扶助、経済的地位の向上、経済的活動の促進を目的とする、中小企業等協同組合法に基き設立された事業協同組合であること、松江税務署長が松江税務署名義を以て、昭和二十六年十一月より昭和二十七年二月までの間に五回にわたり、原判決事実摘示二の1ないし5の如き記載のあるビラを、新聞折込等の方法により、松江市民に配布したことは、当事者間に争がない。
まず右ビラの記載が控訴人の名誉を傷つけるものか否かについて考察する。右ビラには「組合名等を利用する税金ブローカーの口車に乗せられ納税を全然怠つている」(1のビラ)、「最近悪質な組合や税金ブローカー等が税の説明会又は税金対策と称して営業別とか地域別に集会を催し、この組合に入れば税金を安くしてやるとか、女は税金を納めなくてもよくなるとか、甘言を以て納税者をだまし、多額の組合費又は手数料或は仮領収書にて税金を受領したりして、これを詐取している」(2のビラ)、「最近悪質な税金ブローカーや組合が税金対策とか、又は各種の名目を以て会合を開き、組合費或は税金を仮領収するとか称して金銭を詐取している」(3のビラ)、「〇〇民主商工会等の団体が税金についていろいろと根拠のない悪宣伝をしているようですが、これらの団体に税の相談をされると先方が税理士法違反で処罰される」(5のビラ)などの記載があるが、その個々の記載自体からは、その対象の特定または記事の内容の面からみて、未だ特定の人の名誉を傷けるに足るものとはいいがたい。しかし控訴人が当時通称島根民主商工会または民商と呼ばれていたことは当事者間に争のないところであり、成立に争のない甲第六号証、乙第一ないし第九号証、当審証人岩田隆之の証言により真正に成立したと認める乙第十四号証の一ないし三、原審証人田中末吉、田中梅市、大谷義蔵、古川万太郎、武部勝義、武部実、青木良幸、高木昂、石倉幸市、長谷川仁、佐々木種蔵、当審証人勝部昭一(第一、二回)、原審および当審証人岩田隆之の各証言によれば、昭和二十四年六月中小企業等協同組合法が公布されるや、松江市内においても、主として租税負担の軽減を目的として、企業組合を結成せんとする動きが急速に拡がり、昭和二十五年にかけて、多数の企業組合が組織されたこと、かような企業組合を含む各種小企業者を組合員とし、その帳簿の記帳を指導し、組合員のため税務署と税金の交渉をすることを実際の事業目的とする控訴組合が設立され、忽ちにして松江市内の企業組合の大半および多数の小企業者をその傘下におさめたこと、控訴組合は組合員より賦課金名義で組合費を徴収してこれを経費に当て、また松江市内各地で税の説明会を開いたこと、松江税務署は昭和二十六年五月頃松江市内の一部企業組合および控訴組合から帳簿等を押収し、その頃企業組合の組合員に対し、組合員各自において昭和二十五年度所得税を申告するよう、いわゆる法人格否認の通知をなし、さらに控訴組合傘下の企業組合の組合員において右個人所得の申告をしないため、その組合員に対し所得税の課税処分をなし、昭和二十六年十一月八日右組合員十数名に対し差押処分をなしたこと、松江税務署のかかる一連の措置について、控訴組合は強く反撥し、控訴組合の職員が傘下の組合員等多数を伴つて松江税務署に赴き、係員に強硬に抗議し、あるいは「広島国税庁二〇〇名を総動員千鳥城下市民団体を急襲、この売国奴性を見よ」「税鬼の不法と暴力を実力で粉砕せよ」「ドロボーから生活と営業を守るため町内会を更に強化せよ」「雨をついて強盗さわぎ、滞納差押と称して市内を暴圧」「国民は強盗を逮捕する権利がある」等の見出しを附した壁新聞等を以て、松江税務署を非難攻撃したこと、かくの如き松江税務署に対する控訴組合のいわゆる税金斗争は市民の間で周知の事柄であつたことが認められ、以上の各事実および当審証人岩田隆之の証言と本件ビラの記載内容、配布の時期等を考え併せると、右に指摘した記載部分は控訴組合の活動に対抗する意図で書かれたものであり、一般市民もまたその記載が主として控訴組合を指すものと解したことが窺えるから、「悪質な組合が税の説明会または説金対策と称して、営業別とか地域別に集会を催し、この組合に入れば税金を安くしてやるとか、または税金を納めなくてもよくなるとか、甘言を以て、納税者を騙し、多額の組合費または手数料を受領したり、仮領収書で税金を受領したりして、これを詐取している」という趣旨の記載は、控訴人の名誉を傷けるものといわなければならない。
ところで被控訴人は、右ビラの配布は当時強力に行われていた反税宣伝に一般納税者が迷わされないよう、正しい納税手続を周知させるため、行つたものであつて、税務署長が当然なすべき職務行為であり、違法性がないと主張する。なるほど控訴人が松江税務署の措置につき、著しく穏当を欠く刺戟的な語調の見出しを附した壁新聞等をもつて攻撃を加えたことはすでに認定したとおりであり、更に原審および当審証人岩田隆之の証言によると、前示の如く控訴組合の職員が傘下の組合員等多数を伴つて松江税務署に抗議に赴いた際には、係員を取捲き、大声で「お前は税鬼だ」とののしる等過激な言動をなし、果ては税務署職員の家庭に押しかけ、その家族に「お前の主人は税務署の鬼だ」と罵言をあびせるなど常規を逸した行動に及ぶ者も現れるに至つたことが認められ、かかる行動が排斥さるべきことは論をまたず、また税務署長が納税についての啓蒙活動をなすべきことは当然であるけれども、それは適法な方法によるべきであつて、甘言を以て多額の金員を詐取しているというが如き事実を摘示して、人の名誉を傷けることは許されない(右事実が真実であることは被控訴人において主張も立証もしない。したがつて本件名誉毀損行為が、税務署長の職務行為として違法性を阻却する旨の被控訴人の主張は採用しない。
そこで、前記名誉毀損により控訴人の蒙つた損害について判断する。まず控訴人主張の有形損害について考えるに、原審証人田中末吉、田中梅市、大谷義蔵、古川万太郎、武部勝義、武部実、青木良幸、高木昂、石倉幸市、長谷川仁、当審証人勝部昭一(第一、二回)の各証言によれば控訴組合は組合員より賦課金を徴収していたが、組合員が企業組合の場合は企業組合員数等を基準として当該企業組合に対する賦課金額を定めていたこと、昭和二十六年十一月八日前記の如く差押処分がなされた頃から、控訴組合傘下の企業組合の組合員中にその企業組合から脱退する者が続出し、したがつて控訴組合の取得する賦課金も減少したことが認められる。しかし控訴組合からの脱退者もしくはその傘下の企業組合からの脱退者の何程が、前記名誉毀損行為に因るものであるかは、これを確認するに足る証拠がない。却つて右各証拠によると、控訴組合傘下の企業組合から脱退したものの殆んどは、税務署がいわゆる実質課税の見地から、企業組合の事業所得を組合員名自の個人所得として課税したため、企業組合に加入している利益が殆んどなくなり、加えて税務署が企業組合の組合員で滞納している者に対し、悪質滞納者として差押処分を以て臨んだため、企業組合に止まることはかえつて不利益でみると判断したことが主たる原因であることが窺えるのである。結局本件名誉毀損行為によつて、控訴人の収入がいかほど減少したかは、これを確定することができないから、有形損害の賠償請求は失当といわざるを得ない。
次に控訴人主張の無形損害の賠償請求について考えるに、当裁判所はその無形損害が何を意味するかを明らかにするよう求めたけれども、控訴人はこれを釈明し低い。通常不法行為における無形損害の賠償は精神上の苦痛に対する慰藉料の趣旨に解されるが、控訴人は法人であつて、肉体をそなえた自然人でなないから、その精神上の苦痛を問題にする余地はない。したがつて右請求もまたこれを排斥するほかはない。
そうすると控訴人の請求はすべて失当であり、これを棄却した原判決は結局正当であるから本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法の第八十九条第九十五条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 高橋英明 石川恭 高橋文恵)